映画の中の戦争(6)─隣人同士が戦う内戦の悲惨


『サン・ロレンツォの夜』(1983)

 「今度は、イタリア抜きでやろうぜ」という趣味の悪いジョークがある。
 「ヘタリア」というのも同じ類で、要は第二次世界大戦で連合国に敗れた日本・ドイツ・イタリアの枢軸国で、最も早く降伏したイタリアを揶揄する表現だ。
 日本の降伏は1945年8月15日、ドイツは同年5月8日、イタリアはこれより2年早い1943年9月8日だった。

 国家が一丸となって戦った日本・ドイツに比べて、イタリアはいささか様相が異なる。
 日独伊三国同盟が結ばれた1940年、イタリアは王国で、国家ファシスト党のムッソリーニ首相が独裁体制を敷いていた。
 1943年に連合軍がシチリア島に上陸すると王党派とファシスト党内の和平派がクーデターを起こし、ムッソリーニを拘束。新政権は連合軍に降伏してしまう。

 ドイツ軍はローマに進軍、新政権と国王は南イタリアに逃れ、ムッソリーニを救出したドイツはイタリア中北部に傀儡政権・イタリア社会共和国を建国させる。
 国軍は共和ファシスト党と王国派に分かれての戦いとなり、これに連合国の支援を得たパルチザンが加わって内戦状態に入る。

 ヴィットリオ・タヴィアーニとパオロ・タヴィアーニの兄弟が監督したイタリア映画『サン・ロレンツォの夜』(1983)は、1944年夏のイタリア中部トスカーナ地方の小さな村を舞台にした物語で、フィレンツェの陥落が8月11日。トスカーナ地方は内戦状態にあった。
 
 8月10日は古代ローマの聖人ロレンツォが殉教した日で、この頃はペルセウス座流星群が見られることから、サン・ロレンツォの夜に流れ星に愛する者のために願いごとをすると叶うと言い伝えられている。
 映画はファンタジックなプロローグから始まり、サン・ロレンツォの夜、母親が幼子の平安を願って、6歳の時に村で体験した出来事を語って聞かせるという回想形式を採っている。

 母が体験したのは、村の若者たちがファシスト党、パルチザンに分かれて戦う姿で、これまでの友人や仲間、隣人たちが互いに血​で​血​を​洗​う​戦​争​の​悲​惨​と​、村人たちの心​の​傷​を​描​く​。
 戦いはイタリアの長閑な田園風景の中に描かれるが、小​麦​畑​の​中​で​の​戦​闘​シ​ー​ン​が​妙に​牧​歌​的​で​、仲間同士が殺し合わなければならない不条理が悲しみを誘う。

 日本人の戦争体験、ドイツ人の戦争体験はもちろん悲惨だ。しかし、同じ国民同士が戦わなければならない内戦にはそれとは別の悲惨があって、この映画を見ると第二次世界大戦のイタリアを揶揄する無神経に気づかされる。
     

『旅芸人の記録』(1975)

『キリング・フィールド』(1984)

 テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(1975)は、旅芸人の一座を通して1939年から1952年にかけてのギリシャの戦争の歴史を描くが、一座に古代ギリシャ悲劇を重ねたやや難解な映画となっている。

 ギリシャ王国は第二次世界大戦でドイツを中心とする枢軸国に占領され、一座はファシスト、パルチザンの争いに巻き込まれ崩壊してしまう。
 大戦後は共産・反共産の内戦を経て、アメリカの介入で安定するが、家族を含めた座員同士が敵味方に分かれて争う、戦争の悲劇が語られる。

 ローランド・ジョフィ監督の『キリング・フィールド』(1984)は、1970年代のカンボジア内戦の映画で、タイトルの通り、ポル・ポト派による同じカンボジア人に対する大量殺戮を描いている。
 ニューヨーク・タイムズのアメリカ人記者と取材に協力したカンボジア人カメラマンの実話で、ベトナム戦争から拡大したカンボジア内戦と、プノンペン陥落後、カンボジアに取り残されたカメラマンの体験記となっている。

 ロン・ノル政府軍とクメール・ルージュの残酷な殺し合いも悲惨だが、クメール・ルージュの強制労働に就いたカメラマンが見た狂気には言葉を失う。
 洗脳された子供たちが友人ばかりか肉親、親さえも悪魔に売り渡せるという、ジョージ・オーウェルの小説『1984』(映画は1984、マイケル・ラドフォード監督)を連想させる事実に、戦争というものの計り知れない奈落が覗ける。

映画の中の戦争(5)─戦争がもたらす市民の陰画


『火垂るの墓』(1988)

 今年の4月5日に亡くなられた高畑勲監督の代表作に『火垂るの墓』(1988)がある。
 太平洋戦争末期、6月5日の神戸大空襲で焼け出され、母を失った14歳の兄と4歳の妹の悲しい運命を描いたアニメーション映画として知られている。
 野坂昭如の実体験を基にした短編小説が原作で、野坂さんは「これは兄と妹の道行きの物語だ」と話されていたのを思い出す。

 戦災孤児となった兄妹の可哀想な物語と素直に受け取れば、このような悲劇を二度と起こしてはいけないという反戦の思いに繋がるのかもしれない。
 しかし、これが戦争という状況下での道行きの物語とすれば、少し違った視点が見えてくる。
 ここでいう道行きとは、浄瑠璃・歌舞伎などの演目の駆け落ち・心中物のことで、世間を離れて二人だけで生きていく物語ということになる。

 主人公の兄妹の父は海軍将校で、二人の言動や暮らしぶりからは比較的裕福な家庭だったことが窺われる。14歳になる兄にはエリートの家庭に育ったプライドがあり、妹も優遇された家庭に育った我儘さを持っている。
 その二人が、生活レベルの違いから窮乏生活を強いられている一般家庭の叔母一家と衝突し、プライドを捨てきれずに叔母の家を出て、防空壕で二人で暮らすことになる。

 二人から見れば非エリートに属していた農民やその子供たちが、食料を持つゆえに地位を逆転し、母の着物を買い叩き、作物泥棒と殴り、洞窟に住む乞食と蔑む。
 兄は屈辱を感じながらもプライドを捨てることができない。プライドを捨てれば、命を落とすこともなかったかもしれないと考えれば、兄妹を死に追いやったのは職業軍人の父だったともいえる。
 そこに二人の悲劇がある。

 戦争が終わって、六甲山の防空壕に面した芦屋の家に、裕福な一家が疎開から戻ってくる。庶民には持てない電蓄から「埴生の宿」(Home! Sweet Home!)が流れる。同じ裕福な家庭に育ちながら、プライドのために身を落とした兄妹への鎮魂歌のように流れる。
 幼い兄妹に涙するなら、それはプライドのために自縄自縛した二人と、その二人に救いの手を差し伸べなかった人々の無情に流すべきなのだろう。

『ルシアンの青春』(1973)

 1973年のルイ・マル監督『ルシアンの青春』は、ドイツ占領下のフランスでゲシュタポ(ナチスの国家秘密警察)の手先となった少年の実話だ。
 地方の町の病院の清掃夫として働いていた少年が、たまたまゲシュタポ本部のホテルを通りかかって尋問され、無知無学であることを利用されて村のレジスタンスを摘発するための情報源にされてしまう。

 少年にとってゲシュタポの手帳は水戸黄門の印籠の役目を果たし、贅沢な生活ばかりか、賄賂を要求するなど、特権的な身分に有頂天になる。
 そうして賄賂で身分を隠しているユダヤ人一家の娘に恋し、親衛隊の摘発で娘が強制収容所送りになるのを助け、娘の祖母ともどもスペイン国境に向けて逃避行する。
 映画は山中の隠れ家での平穏な日々のシーンで終わるが、パリ解放後、少年はレジスタンスに捕まり、対独協力者として短い人生を終える。

 少年の兄はレジスタンスで、少年も一時レジスタンスを志したが、若いからという理由で断られる。
 つまり少年はノンポリで、無知無学ゆえに対独協力者となった。映画は、戦争犯罪者の側から見たもう一つの戦争の真実となっている。

『愛を読む人』(2008)

 2008年のスティーブン・ダルドリー監督『愛を読む人』は、同じように無学ゆえに戦争犯罪人となってしまった強制収容所の女看守の物語だ。
 映画は戦後に年上の彼女と同棲した少年の視点で語られ、法学生となった彼がナチス裁判の傍聴で彼女と再会する。
 戦前、無学で仕事のなかった彼女が、ようやく見つけたのが収容所の看守の仕事だった。

 前々回取り上げた『ニュールンベルグ裁判』(1961、スタンリー・クレイマー監督)同様、法に従って忠実に職務を遂行した彼女に、倫理で罪を問うことができるのかという設問になっている。
 同棲時代の彼女は文盲で、彼が朗読する『オデッセイア』やチェーホフを大きな楽しみとする。収監された彼女は初めて罪と向き合い、文字を覚えることで人間性を本から学ぶことになる。

 彼女に足りなかったのは理性でも情操でも人間性でもなく、教育だったという結末が哀しい。
 元女看守を演じたケイト・ウィンスレットは、この映画でアカデミー主演女優賞に選ばれている。

映画の中の戦争(4)─勝利した戦争の中の真実


『プライベート・ライアン』(1998)

 戦争には、勝った国も負けた国もある。
 日本の戦争を描いた映画の多くは、当然と言えば当然だが敗戦の悲惨を描いたものが多い。
 では負けた国だけが悲惨で、勝った国は勝利に酔い痴れているかといえば、そうばかりではない。

 スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(1998)は、ノルマンディ上陸作戦に参加した空挺部隊のライアン二等兵を帰還させるために、トム・ハンクス率いるレインジャー部隊が救出に赴くという物語。
 帰還は、ライアン夫人が二等兵以外の残りの息子3人を戦死させたという人道的理由によるもので、一人の兵士の命を救うために他の兵士が犠牲になるという、戦争における命の意味を問う作品になっている。

 冒頭でノルマンディ上陸作戦の地獄図が展開され、憎しみのために降伏したドイツ兵を射殺したり、逆にドイツ兵もまた生き残るために殺したくない相手を殺したりといった、理性を超えた戦争の悲惨が描かれる。

 スピルバーグには他に『シンドラーのリスト』(1993)、『太陽の帝国』(1987)、『戦火の馬』(2011)などの戦争を描いた作品があるが、戦争のヒロイズムやヒューマニズムのきれいごとを排して、敵味方なく人間の本質を冷徹に描く。
 スピルバーグがウクライナ系ユダヤ人ということに関係しているのかもしれない。
 1971年にノーマン・ジェイソン監督で映画にもなった『屋根の上のバイオリン弾き』は、ウクライナからアメリカに移民するユダヤ人の話だ。
       

『父親たちの星条旗』(2006)

『二百三高地』(1980)

 第二次世界大戦では、国土を侵略されたりその危機を感じたフランス・中国・イギリス・ソ連に比べれば、ほとんど無傷の戦勝国といっていいのがアメリカだが、ベトナム戦争の敗戦からか、冷静に戦争を見つめる作品も多い。

 クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』(2006)は、太平洋戦争の硫黄島制圧で摺鉢山に星条旗を立てた6人の英雄のその後の物語で、ヒーローは国家のために存在し、戦争にはヒーローなど存在しない現実を描く。
 生き残った3人は復員すると英雄として祭り上げられ、戦時国債を売るための宣伝に利用され、戦後はヒーローとは程遠い人生を送ることになる。
 3人の中で執拗な差別を受けるネイティブ・アメリカンの姿がとりわけ哀しい。

 日本にも、勝利した戦争を描いた映画がある。
 日露戦争の旅順攻囲戦を描いた舛田利雄監督の『二百三高地』(1980)で、アメリカのベトナム戦争同様に太平洋戦争の敗戦を経験したことで、単なる戦勝映画に終わらせていない。

 旅順攻略の要衝203高地を巡る日露の攻防戦を描き、仲代達矢演じる乃木希典陸軍大将以下の多数が登場する歴史劇だが、召集されて203高地の戦いに参加する市井の小学校教師が主人公となっている。
 主人公はロシア文学を愛読する親ロシア青年で、小隊長として部下を戦死させ敵を憎む中で、国家と兵士を切り離して考え、兵士は国家の代理として殺し合う駒に過ぎないことを悟る。
 そこには人道も正義も理想もなく、生き残るために敵を憎んで戦うしかない。

 主人公は戦死するが、その死は恋人や人々の平安のためだったという慰霊で映画は終わる。
 西欧列強に伍していくためにとらざるを得ない富国強兵政策。領主に代り国家に隷属していく人々。正解のない歴史の流れの中で、その平安が、その後の日中戦争から敗戦に至る悲劇への幕間でしかないことを示唆する。
 主人公をあおい輝彦、その恋人を夏目雅子が演じるが、『防人の詩』の流れるエンディングの夏目さんの美しさに、平和の儚さが重なる。

 敗戦の映画には描けないものを、勝利した戦争の映画は描くことができる。



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