千鳥ヶ淵緑道と路面電車・続



 千鳥ヶ淵の桜が見頃になってきた。ボート場もオープンして、さっそく大勢の人たちが道幅の広がった緑道を訪れている。
 もっとも、ボート場はまだ完成には至っていない。とりあえずオープンして、花見時が終わったら、仕上げの工事をするんだろう。

 さて・・・
 千鳥ヶ淵という名前の由来だが、池の形が千鳥が翼を広げた形に似ているところから名付けられたそうだ。
 かつては半蔵門まで濠が繋がっていたが、1900年(明治33年)に代官通りが通って濠を埋められ、半蔵濠とに分かれた。

 千鳥ヶ淵の西側は番町と呼ばれ、江戸時代には将軍を直接警護する大番組と呼ばれる旗本が配置されていた。
 大番組は当初、一番組から六番組まであって、それが現在も一番町から六番町までの町名として残っている。
 江戸開城後は、千鳥ヶ淵の際まで旗本の屋敷地があったそうだ。

 ところが、1657年の明暦の大火を始めとして、江戸城内に度々大火があったために、幕府は防火対策として千鳥ヶ淵のこの細長い一帯を火除け地にした。
 1697年、旗本屋敷は撤去され、空き地となった。
 明治初期の古地図を見ると、千鳥ヶ淵沿いを土手道が通っていて、現在の戦没者墓苑、パークマンション、農水省分庁舎一帯は、アキチと書かれている。



 千鳥ヶ淵周辺に目を向けると、明治になって、戊辰戦争の明治政府側戦没者の慰霊のために、1869年(明治2年)に東京招魂社が建てられている。東京招魂社は、現在の靖国神社の前身である。
 社殿のある辺りは旗本屋敷で、田安門までの外苑はやはり火除け地だった。

 1872年(明治5年)には、大名屋敷があった場所にイギリス公使館が建てられ、番町の旗本屋敷は、新政府の官吏や皇族、貴族の邸宅、外国公館となっていった。
 千鳥ヶ淵の火除け地だった場所は、現在の戦没者墓苑、宮内庁侍従長公邸は宮家の閑院宮邸、農水省分庁舎からインド大使館にかけては山県有朋の私邸となった。
 その後、九段坂病院にあたりで、柔道家の嘉納治五郎が道場を開いた時期もあったそうだ。
 

 桜で有名な千鳥ヶ淵だが、イギリス大使館前に桜並木が植えられたのは、1898年(明治31年)のことだという。植樹したのは、「一外交官の見た明治維新」(岩波書店)で知られるイギリス公使アーネスト・サトウだった。
 1930年(昭和5年)に内堀通りが開通すると、街路樹に170本の桜が植えられた。
 靖国神社の桜は、1870年(明治3年)に当時苑内にあった競馬場の周りに植えられたのが最初だそうだ。

 千鳥ヶ淵には、いつ頃から桜が植えられていたのかはっきりしないが、緑道と北の丸公園側の斜面にソメイヨシノが植樹されたのは、昭和30年代のことだという。

 緑道が現在のように整備されたのは1978年のことだというが、この頃、近くの新聞社で漫画を書いていた人とお花見に行ったことがある。
 九段坂の歩道に屋台は出ていたと思うが、桜並木がどのようであったのか、はっきりした記憶がない。もちろん今よりは樹もだいぶ若く、座って花見ができる程度の人混みだった。
 酒豪の漫画家で、よく一緒にスキーにも行ったが、数年前に旅立たれた。

 千鳥ヶ淵といえば、現在のパークマンションのところにあったフェヤーモントホテルを覚えている人もきっと多い。花見の季節ともなれば、ホテルのティールームはいつも満席になった。
 開業は戦後の1951年、閉館は2002年だった。

 さて千鳥ヶ淵緑道だが、見ての通りの千鳥ヶ淵の土手道である。1630年頃の古地図には、すでに千鳥ヶ淵に沿った道があったそうだ。
 歴史ある道といっても良いのかもしれない。いや、単なる土手道か・・・
 ただの土手道だったこの道は、火除け地となり、路面電車が走り、今は桜の名所となっている。
 長い歴史を刻んできたこの道も、公園のように改造されてすっかり様変わりした。



 物故された漫画家やフェヤーモントホテルの記憶も、私にとっては旧千鳥ヶ淵緑道とともに過去に消え去ってしまった。
 インド大使館も建て替って、新しくなった千鳥ヶ淵緑道を歩いても二度とそのことを思い出すことはないだろう。
 風景が消えれば、人の記憶も薄らいでいく。つまり、私自身が道とともに過去に押し流されてしまったというわけだ。
 新しい道は、きっと新しい人々の胸に新しい何かを刻んで、新たな道となっていくのだろう。

(写真・地図)
※1枚目:新しく植えられた千鳥ヶ淵緑道のシャガの花。他にムラサキダイコン、シャクナゲやモクレン、ツバキの花も咲いている。桜ばかりに気を取られていると、折角の春を見逃してしまう。
※2枚目:明治4年の千鳥ヶ淵周辺地図。まだ代官通りはなく、千鳥ヶ淵と半蔵濠に分かれていない。
※3枚目:千鳥ヶ淵に棲んでいる野良猫の段ボールハウス。世話をしてくれる人がいて、緑道が新しくなっても彼らの生活に変わりはない。

千鳥ヶ淵緑道と路面電車



 24日火曜日の午前中に、千鳥ケ淵緑道とボートハウスの完成式典が行われるそうである。
 この式典の間は、千鳥ヶ淵緑道は全面通行止めになるという掲示がされている。

 完成式典にいったい何をやるんだろうと、千代田区のプレスリリースを覗いてみたら、まあ予想されるような内容だった。
 区長挨拶、テープカット、記念植樹、感謝状贈呈・・・

 区長は2月1日に行われた区長選で再選を果たしたばかりの元東京都職員だそうだ。
 きっと、新しくなった千鳥ヶ淵緑道について、区議会議員や区職員とともに自画自讃の挨拶をするのだろう。
 記念植樹はやはり桜の木か?

 テープカットはボートハウス施設についてだろうか・・・緑道はとっくに開通してるもんな。
 いや、緑道についてもやるのかもしれない・・・形式に拘る、それがお役所仕事というもんだ。

 それにつけても判らないのが、感謝状贈呈。いったい、誰に何を感謝するんだろう・・・
 工事関係者か? それとも区長か? いや、区職員? 区議会議員? それとも観光協会?
 いや、千鳥ヶ淵の桜の保護にあたっているボランティアだろうか?

 ・・・さて、俗っぽい話はこのあたりで止めて、別の話をしよう。





 昔、千鳥ヶ淵緑道を路面電車が走っていたことをご存知だろうか?
 もっとも、路面電車は現在の緑道を走っていたのではなく、おそらくその脇の車道を走っていた。

 この地を路面電車が走るようになったのは、1906年(明治39年)のことだった。
 1882年(明治15年)に馬車鉄道が営業を開始するが、馬が道に落とす糞尿などが問題となっていた。
 そのため、馬車鉄道が急速に路面電車に切り替わり、東京には東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道の3つの路面電車会社ができた。
 
 1903年に数寄屋橋・神田橋間を開業した東京市街鉄道は、続いて日比谷公園から半蔵門経由、新宿までの区間を開業させ、1905年暮れには半蔵門・三番町間を開通させた。
 三番町は、千鳥ヶ淵緑道の南側になる。

 翌年1月、千鳥ヶ淵沿いを通る三番町・九段上間が開通して、半蔵門から九段上までが繋がった。
 この時、靖国通りの九段上・市ヶ谷間も同時開業している。

 千鳥ヶ淵周辺をご存知の人なら不思議に思うかもしれない。
 半蔵門からの内堀通りは、直線でそのまま九段坂上の靖国神社で靖国通りに繋がっている。
 なぜ路面電車は内堀通りをそのまま行かずに、三番町、つまり現在の墓苑入口から、わざわざ曲線の千鳥ヶ淵緑道を迂回して九段上に出るのか?

 実は、その当時、三番町から九段坂上までの内堀通りは存在していなかったのである・・・

 半蔵門からの濠に沿った道は、イギリス大使館前を過ぎるとそのまま濠に沿って右に曲がり、現在の千鳥ヶ淵緑道を通って九段上に抜けていた。
 現在、内堀通りとなっている三番町付近には、江戸時代からの旗本屋敷があって、行く手を遮っていた。
 三番町から北を直線で貫いて靖国神社までの内堀通りが完成するのは、関東大震災後の帝都復興事業による1930年(昭和5年)のことだ。



 千鳥ヶ淵緑道を走っていた路面電車は、その後、東京鉄道、東京市電に引き継がれていった。
 そして三番町から北の内堀通りが開通すると、その道を新たに市電が通るようになって、千鳥ヶ淵緑道の路面電車は廃止された。

 ところで、1904年に開通した小川町からの路面電車は、1907年までは九段下までしかなかった。
 つまり、1906年に千鳥ヶ淵沿いを路面電車が走るようになり、九段上からさらに市ヶ谷まで路面電車で行けるようになっても、九段下から九段上の間は歩かなければならなかったわけだ。

 当時の九段坂は急坂で、路面電車が登れなかった。江戸幕府が1709年に坂を階段状にしたということからも、この急坂の様子が窺える。
 それで、牛が淵側の坂の脇を削って勾配を緩やかにし、路面電車が登れるようにしたのだという。

 坂の上を削って現在のようになだらかにしたのは、1923年(大正12年)の関東大震災後の、やはり帝都復興事業によるそうだ。

(写真/上から)
1.現在の墓苑入口交差点から見た千鳥ヶ淵緑道。左側の車道を路面電車が走っていた。
2.完成式典が行われると思われる会場付近。以前は小さな休憩所だったが、緑道を潰して広場のようになった。右の車道が旧・路面電車軌道。
3.昨年5月の同じ場所。森のように見えるが、桜などの落葉樹については、上の写真と多少割り引いて見なければいけない。

(地図)
 1912年の千鳥ヶ淵周辺。赤い線が、路面電車の路線図。
 「麹」の赤い字のあるあたりが現在の北の丸公園。その左が千鳥ヶ淵。千鳥ヶ淵に沿って路面電車が走っている。
 現在の緑道西側は、当時、鍋割坂より北が富士見町1丁目、南が壱番町となっている。北の緑色の部分が靖国神社で、現在の英国大使館までの内堀通りは、まだできていない。

千鳥ヶ淵に「小人間居為不善」を思う



 千鳥ヶ淵緑道の「整備工事」が終わって、先週末に全面開通した。
 もっとも、工事はまだ完了していない。

 千代田区の広報では、工事は2月までに終わる予定だった。
 08/10/2「想定内と想定外のこと。千鳥ヶ淵緑道(部分開通)」に書いたが、終戦記念日までに半分の工事を終え、残りは余裕で2月末までに工事を終了するだろうと思っていた。

 緑道も車道も工事は順調に進んでいるように見えた。新設トイレの工事も順調だった。
 遅れていたのはボートハウスの改築工事だったかもしれない。現に、ボートハウス周辺を中心として、工事が終了していない。

 今年の東京の桜の開花は早いそうである。
 ソメイヨシノも花芽を付け始め、3月も中旬になって、仕方なくの緑道開通なのだろう。





 千鳥ヶ淵緑道が新しくなって、道幅が広がり、藪が取り払われ、見通しも良くなり、全体に綺麗になって、きっと多くの人は喜ぶのだろう。

 広くなった緑道を早速ジョギングの人たちが走り抜けているが、自転車は禁止でもジョギングはOKなのか? 落ち着いて散歩もできないぞ。
 デートだって、鬱蒼とした石畳の道よりは、お洒落なレンガ風の道の方が盛り上がる。いや、見通しが良すぎてキスもできないか?

 花見だって、余計な木や葉っぱに邪魔されずに、遠くまで桜の花が見通せた方が、そりゃ綺麗だろう。
 邪魔な立ち木や潅木が減って、早速植え込みにライトアップのための電柱が何本も立てられた。

 まあ、千鳥ヶ淵緑道なんて、所詮その程度の散歩道、年に一度訪れる花見客のための道なのである。
 千代田区は四季を楽しめる道にと言っているが、どう見たって桜を中心に緑道は造られている。
 前の方が良かった、草木はそのまま生かして、人工的な都市公園のようにはするな、というのは少数派・・・

 みんなが親しめる綺麗な公園にするためには、余計なものは排除するというのも、今回の設計思想なのだろう。

 よく見ると、ベンチはすべて一人掛けになっている。
 長いベンチには一人ずつ座るように区切りがついている。長椅子ではない。
 テーブルみたいなベンチもあるが、これまた一人ずつ座るように区切りがついている。
 恐れ入ったのが、整備前からあって残された大きな石のベンチ。これにも一人ずつ座るように区切りをつけてしまった。

 何のため?
 カップルがくっつかないため?

 いや、これは私の推測だが、ベンチで横になれないようにするためである。
 これじゃ、昼寝もできないじゃないか・・・
 そうではなく、ホームレスを排除しようという魂胆・・・
 ま、役人なんて、その程度の小人だということ。

 小人は「こびと」でも「しょうにん」でもなく、「しょうじん」と読む。
 「こびと」はとても小さな人、「しょうにん」は子供のこと。
 「しょうじん」にはどちらの意味もあるが、ここでの意味は、度量や品性に欠けている人、小人物のことである。
 小人閑居して不善をなす・・・暇な役人はろくなことをしない、という意味になる。

 いや、小人閑居して不善をなすは、ベンチだけでなく緑道そのものか。





(写真・上から)
1.工事の終わっていないボートハウス。
2.インド大使館前付近の水飲み場。
3.昨年5月に撮影した同じ場所。
4.鉄製の区切りを埋め込まれた石のベンチ。
5.千鳥ヶ淵のソメイヨシノは花芽がついたばかり。(3月15日)
6.満開の大寒桜。但し、千鳥ヶ淵ではなく皇居乾門前。


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