辞書も偏向するのか? 中国寄りと抗議された広辞苑(6)

Flag of the Republic of China
中華民国国旗。下は台湾独立派が掲げる台湾国旗。
さらにその下が中華人民共和国国旗(中国国旗)。
Flag of World Taiwanese Congress
Flag of the People's Republic of China

 これまで5回に渡って、広辞苑の台湾の記述について台湾政府が抗議した問題を取り上げてきた。
 すでに報道されているが、広辞苑第7版では「LGBT」「しまなみ海道」の2語の記述について、指摘を受けて訂正要求に応じている。(『広辞苑 第七版』読者の皆様へ
 「日中共同声明」の僅か4字の修正に応じない真意はどこにあるのか?

 出版社を含む日本の多くのマスメディアは、政治的中立を標榜している。
 それが建前であることは改めて言う必要もないが、本来無色であると考えられてきた辞書でさえ例外ではないことを今回の問題は示した。

 第1回で書いたが、所詮、辞書だって人が作ったもの。間違いはあるし、解釈が人と異なることだってあって当たり前だ。
 そこに編者の思想信条が反映されていてもおかしくない。
 この問題を長々と書いてきたのは、広辞苑を批判することが目的ではない。

 1月にアメリカのトランプ大統領がフェイクニュース大賞を発表したというのが話題になった。
 普段からの言行が禍して、トランプ大統領について多くの人は一顧だにしないが、大賞に選ばれたニュースの妥当性は別にして、トランプ大統領の主張に一理ないわけではない。
 世の中は、意図的であれそうでなかれフェイクニュースに溢れている。

フェイク‐ニュース(fake news)
真実ではない情報。虚報。がせねた。(デジタル大辞泉)

 インターネットが普及し、SNSで情報が拡散されるようになって、虚実さまざまな情報を耳にすることが多くなった。
 正直、多くの人がニュースソースの真偽を確認せずに、自分の嗜好ないしは主義主張に沿ったものを迎合的に受け入れ、さらにそれを第三者に広めているように見える。
 その過程では、意図的な編集・歪曲も行われ、誤解と偏見を拡散する。

 広辞苑だけでなく出版・新聞・放送・インターネットのすべての情報は主観であり、受け手側が客観の物差しを持たないと、この情報社会に翻弄されることになる。
 フェイクニュースはやがてデマ・流言蜚語となって、私たち自身に返ってくる。
 それは戦前の人種差別、軍国主義など、わが日本が通ってきた道だということを思い出さなければならない。

 観光客を始め、日本には台湾から年間400万人以上が訪れている。日本から台湾に行く人も200万人近い。
 台湾を「中国の領土の不可分の一部」と考えている日本人は、どれだけいるのだろうか?
 台湾(中華民国)は「地域であって国家ではない」と考えている日本人は、どれだけいるのだろうか?

 寡聞にして、そのような世論調査にお目にかかったことがない。
 やれば波紋を巻き起こすことは必至。中国政府からも日本政府からも袋叩きに遭う。
 独立・中立を標榜するマスコミもまた、政治から自由ではない。

辞書も偏向するのか? 中国寄りと抗議された広辞苑(5)


 日中共同声明で、日本政府は台湾政府に配慮する形で、台湾が中華人民共和国の領土であるという中国の主張を「承認」ではなく「理解・尊重」とした。

 広辞苑は、これを1998年の第5版で「(日本は)台湾がこれ(中国)に帰属することを承認し」と記述し、日本李登輝友の会の訂正要求を受けた第6版2刷からは、「(日本は)台湾がこれ(中国)に帰属することを実質的に認め」と改めた。
 穿った見方かもしれないが、これは1997年の香港返還、1999年のマカオ返還を機に、中国にシンパシーを持つ岩波書店が、台湾の帰属についての立場を広辞苑に盛り込んだのではないか?

 一つの中国論、台湾の帰属問題はデリケートで、政治問題である。
 従って、政治的に中立な立場を取ろうとすれば、双方の主張を併記するか、まったく触れないかのどちらかになる。
 詳細に記述できる百科事典などは前者を選び、簡潔な説明を求められる辞書は後者をとるのが一般的だと思う。
 現に、広辞苑以外の他の出版社の辞書は後者を選んでいる。

にっちゅうきょうどうせいめい【日中共同声明】
──中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認、戦争賠償の請求放棄、アジア・太平洋地域での覇権反対、などをうたう。(三省堂・大辞林)
──日本側は中華人民共和国を中国の唯一の政府と承認、中国側は戦争賠償請求権を放棄した。(小学館・大辞泉)

 広辞苑よりも遥かに分厚い、全13巻、日本最大の国語辞典、日本国語大辞典(小学館)は台湾の帰属について、次のように記述している。
──中華人民共和国の唯一の合法政府であることの承認、台湾が中国の領土の不可分の一部であることの尊重、中国の対日賠償請求の放棄・・・(日本国語大辞典)

 該当箇所を抜き出せば、広辞苑「台湾がこれに帰属することを実質的に認め」(19字)、日本国語大辞典「台湾が中国の領土の不可分の一部であることの尊重」(23字)と、僅か4字の違いでしかない。
 わずか4字であるにも関わらず、なぜ広辞苑が現表記に拘るのか理解しがたい。

 ちなみに、左派系マスコミと目されている朝日新聞の知恵蔵でさえ、次のように書いている。
──第3項で台湾が中国の「領土の不可分の一部」であるとする中国の立場を理解し、尊重するとした。

 今回の問題について、岩波書店はホームページに「読者の皆様へ」と題して、若干詭弁めいているが見解を発表しているので、リンクを貼っておく。 
 付け加えれば、Wikipediaの「中華人民共和国」の項にも、中華人民共和国行政区分図が掲載されている。
 こちらにも台湾省は載っているが、「中華民国が支配しているが、中華人民共和国が領有権を主張している」という説明が施されている。

辞書も偏向するのか? 中国寄りと抗議された広辞苑(4)

          

文末*1参照

文末*2参照

 1972年の日中国交樹立の際、日本政府は台湾政府に最大限配慮する形で、台湾が中華人民共和国の領土であるという中国の主張を「承認」ではなく、「理解・尊重」とした。

 広辞苑編集部が、これを知らないはずはない。

 では、なぜ、広辞苑第5版では、台湾が中国に帰属することを承認したと記述し、日本李登輝友の会の訂正要求を受けて第6版2刷から、台湾が中国に帰属することを実質的に認めたに変更したのか?

 中国が復古的中華思想、覇権主義を推し進め、多くの日本人を含め民主主義勢力から危険な存在と危惧されている現在からは想像しにくいが、日中国交樹立当時、マスコミを始め、日本の民主主義勢力は、蒋介石の台湾を右翼的反動勢力と見做し、毛沢東率いる中国を正義の国と盲目的に信奉していた。

 当時は欧米のリベラル勢力も毛沢東主義を受け入れていたので、この中国への偏愛は日本のマスコミや民主主義勢力に限ったことではなかった。
 台湾との関係を重視する佐藤栄作内閣を批判し、次の田中内閣での日中国交樹立を後押ししたのは、日本のマスコミと民主主義勢力、そして巨大な市場と労働力を控える中国との貿易を望んだ経済界だった。

 当時は、世界的に学生運動や左翼運動が盛んだった時期で、毛沢東主義に代表される共産主義に対するシンパシーに溢れていた。
 広辞苑を発行する岩波書店は、日本におけるマルクス主義の代表的出版社で、発行する言論誌『世界』は、朝日新聞発行の『朝日ジャーナル』と並んで、当時の左翼人の機関誌的存在だった。

 岩波書店の思想的スタンスはその後も変っていない。
 今の時代、『資本論』や『共産党宣言』を読む学生はほとんどいないと思うが、当時リベラルを標榜する学生にとって、岩波文庫の『資本論』『共産党宣言』は必読書だった。

 日中国交樹立後の1983年発行の広辞苑第3版には「日中共同声明」の項はなく、初めて加わったのは1991年発行の第4版だそうだが、次のように台湾の帰属には触れていない。
 ──日本側は中華人民共和国を中国の唯一の政府と承認し、中国側は戦争賠償請求権を放棄した。

 帰属問題の記述が登場するのは第2回に書いた第5版からで、発行は1998年である。
 1998年は香港返還の翌年、1999年にはマカオが返還されている。
 香港・マカオに一国二制度が導入され、中国が領土と主張する残る台湾に向けて統一の呼びかけを始めた時期に相応する。

 穿った見方をすれば、中国にシンパシーを持つ岩波書店の広辞苑が、香港・マカオ統一を果たし、残すは台湾のみとなった中国について、岩波書店自身が「台湾は中国の領土の一部」「一つの中国」論に組して「日中共同声明」の項を書き換えたということかもしれない。

*1:1968年フランス5月革命の頃の青春を描いたベルトリッチ監督の『ドリーマーズ』(2003、R18)。主人公の青年の部屋には毛沢東のポスターや彫像が飾られていて、当時のリベラルな若者たちが影響を受けていたことがわかる。
*2:毛沢東体制を批判して再教育収容所に送られた中国知識人の過酷な様子を描いたワン・ビン監督の中国映画『無言歌』。(2010)



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