東京地名考─消えた地名・護持院ヶ原(下)

護持院ヶ原(江戸名所図会) (367x295)
江戸名所図会・護持院原
分間江戸図1697 (367x270)
神田橋御門外の知足院(護持院)
享保御江戸図1725 (367x275)
享保回禄後の明地(護持院ヶ原)
1806分間江戸大絵図 (367x275)
一番原が屋敷地になった護持院ヶ原(二~四番原)。文化3年(1806)

 前二回にわたって、筑波山神社は豊島岡墓地と縁がある、という話の顛末を書いた。
 しかし、どこが東京地名考なのか?

 さて、ここからが本当の本題。
 江戸知足院は、江戸白銀町、湯島切通と2度の移転を経て、元禄元年(1688)、神田橋御門外に寺領1500石を拝領して、大伽藍を建設した。

 この時、江戸知足院は筑波山護持院元禄寺に名を改めるが、享保2年(1717)、類焼によって全焼。大塚護国寺に間借りすることになるのだが、この僅か30年足らずの間に名を残した。
 護持院のあった焼け痕は火除地となり、その後150年、幕末まで護持院ヶ原と呼ばれることになった。

 護持院ヶ原は、名所として『江戸名所図会』にも紹介されている。

護持院旧地 神田橋と一ツ橋との間、御堀の外の芝生をいう。この所は大塚護持院の旧址なり。〔元禄年間、柳原の南にありし知足院を、引きて護持院となづけられ、殿堂御建立ありしが享保回禄(火事)の後、大塚の地へ移され、後明地(空地)となる〕林泉(庭園)の形残りて、すこぶる佳景なり。夏秋の間はこれを開かせられ、都下の人ここに遊ぶことを許さる。冬春の間は、時として大将軍家ここに御遊猟あり。故にこの所を新駒が原とも唱うるとなり。世俗は護持院の原と呼べり。(一部現代表記に改めた)

 柳原は神田川南岸の土手で、「柳原の南にありし知足院」は江戸白銀町にあった知足院のことを言っていると思われる。

 挿絵を見ると、手前から四番原、三番原、二番原となっていて、二番原は説明にある林泉(庭園)のように見える。
 夏と秋には江戸市民に開放され、冬と春は将軍が馬に乗って鷹狩をしたという。
 挿絵の右に描かれているのは濠で、現在の日本橋川になる。
 
 火除地は一番から四番まであったが、二から四番は現在の神田錦町2~3丁目の神田警察通り以南、一ツ橋2丁目の共立女子大学以南。一番は神田錦町1丁目の神田橋に近い一角だったが、延享(1744~1688)の頃には屋敷地となっていたようで、その後、護持院ヶ原と呼ばれたのは二から四番だった。

 なお、享保回禄以前、実際に護持院があったのは古地図からは神田錦町2~3丁目の神田警察通り以南、千代田通り以東になる。
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「ごじいんがはら」の石碑

 護持院ヶ原のエピソードに「護持院ヶ原の敵討」というのがあって、森鴎外が小説に書いている。
 残されていれば日比谷公園のようになったかもしれないが、明治政府は護持院ヶ原を学校用地にしてしまった。
 城跡でしかない皇居に今更火除地も必要なかったのだろうが、現在のビルだらけの街並みからは少々寂しい。
 護持院ヶ原の記憶を留めるのは、ビルの谷間にある錦三会児童遊園の石碑だけになっている。
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護持院ヶ原があったあたり

 東京地名考というわりには、護持院ヶ原に関しては事実のみで考察するようなことはない。
 まあ、東京地名考に相応しいことを述べるとすれば、こうして消えていった地名も多く、開発による経済効果や効率化ばかり求める思想からは、先人の記憶や歴史の教訓は忘れ去られてしまうということだろう。

風呂をうめる、ってどういう意味?(中)

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「うめる、ってどういう意味?」
「うめるって、お風呂の?」
「そうみたいだけど・・・熱くても我慢してうめなかった、って書いてある」

「お湯に水を入れてぬるくすることだよ」
「それって下町言葉? 池袋の人みたいだけど」
「そうねえ、そうかもしれないな。うめるって、使ったことない?」
「ない」
「そうか・・・昔の風呂はカマタキだったから、熱くて水で薄めたんだよ。それをウメルって言ったんだけど、今の風呂は給湯器で温度調節するから、ウメル必要ないもんな」
「ウメルは死語だね」

かまたき【缶焚き・竈焚き・竃焚き】
かまの火をたくこと。また、その人。(大辞林)

 私が子供の頃は、薪や石炭で風呂を沸かした。
 薪や石炭をくべると、風呂の水はどんどん熱くなる。肌が真っ赤になるくらいに熱くなる。

くべる【焼べる】
燃やすために、火の中に薪まき・紙などを入れる。(大辞林)

 死語のオンパレードだ。

 熱い湯が好きな大人はそれでも我慢して入るが、肌の柔らかい子供は水でうめないと入れない。
 今でも銭湯はボイラーで沸かしているから、子どもにはうめないと入れないのだろうが、銭湯に行く機会はあまりない。

 さて、本題の「うめる」である。
 「うめる」は下町言葉でも方言でもなかった。
 大辞林には次のように書かれている。

うめる【埋める】
①穴などのくぼんだ所に物を詰め平らにする。 「穴をパテで-・める」 「運河を-・める」
②地中に入れて見えなくする。 「水道管を-・める」
③上や周囲を他の物でおおって見えないようにする。うずめる。 「火を灰に-・める」
④人や物がたくさん集まり、それ以上入れない状態になる。みたす。うずめる。 「会場を-・めた群衆」
⑤他のものをあてはめて、欠けた部分をなくす。ふさぐ。 「余白をカットで-・める」
⑥損失・不足などを補う。 「赤字を-・める」 「新人募集をして欠員を-・める」
⑦水を加えてぬるくする。また、薄める。 「お風呂を-・める」 「酒ニ水ヲ-・ムル/日葡」

「あつくても がまんした うめなかった」の語釈は⑦だが、ここでふと疑問が頭を掠める。
「お風呂を埋める」なのだろうか?
「お風呂を薄(うす)める」が訛ったのではないのか?

東日本大震災から5年─もとの町に戻れば復興なのか?


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岩手県宮古市・みやこシネマリーン
From Wikimedia Commons, Author:Yasu (talk)

 しばらく前になるが、『旅する映写機』というドキュメンタリー映画を見た。
 2013年の制作で、シネコンなど映画館の映写技術がデジタル化していく中で、生産中止となったアナログ映写機で上映を続ける地方の映画館主たちの姿を追ったものだった。

 この手の滅び行く文化へのノスタルジーを描くドキュメンタリーというのは昔からよくあって、それを大切に思う気持ちや古い文化を遺そうという意義や情熱を否定するわけではないが、一部のシネフィル(映画狂)たちの感傷や慰撫に終始することが多い。

 むしろその中で興味を惹いたのは、そうしたアナログ映写機のエピソードではなく、東日本大震災で避難生活をしている人たちのために、DVDプレーヤーとテレビモニターで巡回上映を続ける宮古の映画館主の話だった。
 そこには人々が映画に求めているものが提示されていて、デジタルもアナログも映画の本質ではないことがわかる。

 この活動をしている岩手県宮古市にある「みやこシネマリーン」は、生活協同組合が運営している映画館で、支配人はドキュメンタリーの中で設立趣旨を次のように語っている。

「生協というのは衣食なのですが、食べて服着てれば人間ではないですよね。
 人間らしい生活っていうのはやっぱりプラスアルファで芸術を見て感動したり、映画を見て楽しんだり感動したりするっていう、それこそ人間らしい生き方、生協というのは文化的生活をっていう日本国憲法21条で定められている文化的生活を送る権利があるってことになりますよね。
 それで生活協同組合を作るのを許可してもらった」

 生協というと、一般には日々の食材や衣料品など衣食住に関わる生活必需品を提供する所と考えられている。
 しかし生活に必要なのはそれだけではない、人間らしい生活には文化もあって、それは憲法で保障されているというのだ。

 21条は表現の自由で、25条の間違いだが、憲法にはこう書かれている。
憲法25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 支配人は、巡回上映について次のように語る。

「なにを以て復興なのかっていうラインってないじゃないですか。
 ビルが建てば復興なのか、同じ町ができれば復興なのかって、そういうものがありますし、同じくこの巡回活動もゴールがないんですよね。
 あるとすれば相当生活が落ち着いて、じゃあ映画でも見に行こうかって自分たちで映画館に足を運べるような状況になれば巡回上映は今の形のようじゃなくてもいいのかなというのはあるんですけどね。
 まだ私にはこの巡回上映をいつまで続けるかっていうゴールは見えないんですよね」

 以前、「花は咲けども」という「花は咲く」へのアンサーソングについて書いたことがある。(「花は咲く」に戸惑えど、「花は咲けども」に答えを知る

 東京や被災地以外の人たちが、被災地に思いを寄せる善意を否定はしない。
 しかし、被災地には私たちの想像を超えたものがあって、宮古市の映画館支配人の言葉に改めてはっとさせられた。

 私たちは被災地の人たちの生活が一日でも早く回復されるようにと願って、寄付をしたり、ボランティアに参加したり、その他諸々の善意を示そうとする。
 しかし、一日でも早く回復されなければならない生活とは何なのか? 
 衣食住が足りればそれでいいのか? 町が以前と同じになればそれでいいのか?

 憲法25条にいう健康で文化的な生活、そうした物質だけではない精神面での生活が回復されなければ、それはまだ復興半ばなのではないのか?
 インフラだとか産業だとか、マテリアルだけが復興なのではない。

 春になれば幼い頃から目に親しんできた桜の花を眺め、休日には友達や家族と映画館に足を運び、町のレストランで食事をする。
 そうした日々、映画館支配人のいうゴールが見えるのは、いつの日なのだろうか。


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