風呂をうめる、ってどういう意味?(中)

IMG_8181 (367x275)
「うめる、ってどういう意味?」
「うめるって、お風呂の?」
「そうみたいだけど・・・熱くても我慢してうめなかった、って書いてある」

「お湯に水を入れてぬるくすることだよ」
「それって下町言葉? 池袋の人みたいだけど」
「そうねえ、そうかもしれないな。うめるって、使ったことない?」
「ない」
「そうか・・・昔の風呂はカマタキだったから、熱くて水で薄めたんだよ。それをウメルって言ったんだけど、今の風呂は給湯器で温度調節するから、ウメル必要ないもんな」
「ウメルは死語だね」

かまたき【缶焚き・竈焚き・竃焚き】
かまの火をたくこと。また、その人。(大辞林)

 私が子供の頃は、薪や石炭で風呂を沸かした。
 薪や石炭をくべると、風呂の水はどんどん熱くなる。肌が真っ赤になるくらいに熱くなる。

くべる【焼べる】
燃やすために、火の中に薪まき・紙などを入れる。(大辞林)

 死語のオンパレードだ。

 熱い湯が好きな大人はそれでも我慢して入るが、肌の柔らかい子供は水でうめないと入れない。
 今でも銭湯はボイラーで沸かしているから、子どもにはうめないと入れないのだろうが、銭湯に行く機会はあまりない。

 さて、本題の「うめる」である。
 「うめる」は下町言葉でも方言でもなかった。
 大辞林には次のように書かれている。

うめる【埋める】
①穴などのくぼんだ所に物を詰め平らにする。 「穴をパテで-・める」 「運河を-・める」
②地中に入れて見えなくする。 「水道管を-・める」
③上や周囲を他の物でおおって見えないようにする。うずめる。 「火を灰に-・める」
④人や物がたくさん集まり、それ以上入れない状態になる。みたす。うずめる。 「会場を-・めた群衆」
⑤他のものをあてはめて、欠けた部分をなくす。ふさぐ。 「余白をカットで-・める」
⑥損失・不足などを補う。 「赤字を-・める」 「新人募集をして欠員を-・める」
⑦水を加えてぬるくする。また、薄める。 「お風呂を-・める」 「酒ニ水ヲ-・ムル/日葡」

「あつくても がまんした うめなかった」の語釈は⑦だが、ここでふと疑問が頭を掠める。
「お風呂を埋める」なのだろうか?
「お風呂を薄(うす)める」が訛ったのではないのか?

東日本大震災から5年─もとの町に戻れば復興なのか?


Miyako_Cine_Marine.jpg

岩手県宮古市・みやこシネマリーン
From Wikimedia Commons, Author:Yasu (talk)

 しばらく前になるが、『旅する映写機』というドキュメンタリー映画を見た。
 2013年の制作で、シネコンなど映画館の映写技術がデジタル化していく中で、生産中止となったアナログ映写機で上映を続ける地方の映画館主たちの姿を追ったものだった。

 この手の滅び行く文化へのノスタルジーを描くドキュメンタリーというのは昔からよくあって、それを大切に思う気持ちや古い文化を遺そうという意義や情熱を否定するわけではないが、一部のシネフィル(映画狂)たちの感傷や慰撫に終始することが多い。

 むしろその中で興味を惹いたのは、そうしたアナログ映写機のエピソードではなく、東日本大震災で避難生活をしている人たちのために、DVDプレーヤーとテレビモニターで巡回上映を続ける宮古の映画館主の話だった。
 そこには人々が映画に求めているものが提示されていて、デジタルもアナログも映画の本質ではないことがわかる。

 この活動をしている岩手県宮古市にある「みやこシネマリーン」は、生活協同組合が運営している映画館で、支配人はドキュメンタリーの中で設立趣旨を次のように語っている。

「生協というのは衣食なのですが、食べて服着てれば人間ではないですよね。
 人間らしい生活っていうのはやっぱりプラスアルファで芸術を見て感動したり、映画を見て楽しんだり感動したりするっていう、それこそ人間らしい生き方、生協というのは文化的生活をっていう日本国憲法21条で定められている文化的生活を送る権利があるってことになりますよね。
 それで生活協同組合を作るのを許可してもらった」

 生協というと、一般には日々の食材や衣料品など衣食住に関わる生活必需品を提供する所と考えられている。
 しかし生活に必要なのはそれだけではない、人間らしい生活には文化もあって、それは憲法で保障されているというのだ。

 21条は表現の自由で、25条の間違いだが、憲法にはこう書かれている。
憲法25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 支配人は、巡回上映について次のように語る。

「なにを以て復興なのかっていうラインってないじゃないですか。
 ビルが建てば復興なのか、同じ町ができれば復興なのかって、そういうものがありますし、同じくこの巡回活動もゴールがないんですよね。
 あるとすれば相当生活が落ち着いて、じゃあ映画でも見に行こうかって自分たちで映画館に足を運べるような状況になれば巡回上映は今の形のようじゃなくてもいいのかなというのはあるんですけどね。
 まだ私にはこの巡回上映をいつまで続けるかっていうゴールは見えないんですよね」

 以前、「花は咲けども」という「花は咲く」へのアンサーソングについて書いたことがある。(「花は咲く」に戸惑えど、「花は咲けども」に答えを知る

 東京や被災地以外の人たちが、被災地に思いを寄せる善意を否定はしない。
 しかし、被災地には私たちの想像を超えたものがあって、宮古市の映画館支配人の言葉に改めてはっとさせられた。

 私たちは被災地の人たちの生活が一日でも早く回復されるようにと願って、寄付をしたり、ボランティアに参加したり、その他諸々の善意を示そうとする。
 しかし、一日でも早く回復されなければならない生活とは何なのか? 
 衣食住が足りればそれでいいのか? 町が以前と同じになればそれでいいのか?

 憲法25条にいう健康で文化的な生活、そうした物質だけではない精神面での生活が回復されなければ、それはまだ復興半ばなのではないのか?
 インフラだとか産業だとか、マテリアルだけが復興なのではない。

 春になれば幼い頃から目に親しんできた桜の花を眺め、休日には友達や家族と映画館に足を運び、町のレストランで食事をする。
 そうした日々、映画館支配人のいうゴールが見えるのは、いつの日なのだろうか。

歳末に思う男女別姓最高裁判決─社会の進化ほどには人間は進化しない

IMG_4235 (367x275)
 今年もあと二日で暮れる。
 筆をとる気が起きないときは起きないもので・・・と書いてから、いや筆などとらない、パソコンを起動してキーボードを叩くのだと、今様の変化を考えると、言葉の使い方も難しくなったものだと思う。

 前回、ブログを書いてからなかなか書く気が起きず、1週間以上が過ぎた。
 師走は何かと気ぜわしく、家の片づけをしたり、年賀状、新年の準備で手間を惜しんでいる間に晦日を迎えてしまった。

 この間にも世間ではいろいろな出来事があった。
 それらについては追い追い書いていくかも知れないが、齢を重ね、何度も年の暮れを迎えるにあたって改めて思うのは、社会の急速な変化ほどには人間は変化していないということだ。
 社会の進化ほどには人間は進化していないと言い換えても良いのかもしれない。

 筆をとらず、キーボードを叩くようになっても、人間の精神はそれほど変化していない。
 それを思うのは、テロ事件や人や国家の覇権主義だけでなく、最近のニュースの夫婦別姓の最高裁判決だ。
 かつて、07/3/10「DINKSの黄昏─俺たちは腐れ縁?」に書いたことがあるが、夫婦別姓問題が国会で取り上げられたのは1990年代のことだ。
 法制審議会が民法改正を答申したのが1996年、最初に法案が上程されたのが1997年だ。

 当時、私の子供はまだ小さかったが、結婚する頃には当然のように夫婦別姓が選択できる世の中になっているだろうと思っていた。
 あれから約20年経ち、判断は国会ではなく最高裁に委ねられた。何とも情けない選良たちだ。

 今回の判決を半ば予想していたし、私見をいえば夫婦別姓問題は憲法判断にはなじまない。
 こうした制度の問題は国会が決めることで、その責任は国会議員、ひいては彼らを選んだ国民にある。
 
 12/16の最高裁判決は、夫婦別姓に合理性がないということではなく、立法が議論すべきこととしているが、 私が驚いたのは最近の世論調査で、12/27の日経では別姓に反対が52%もいたことだ。最高裁判決が影響したのだろうか。
 50代以下では賛成が反対を上回るが、それでも20~30代で反対が39%もある。単純に言えば半分が男だからということだろうが、フェミニストもいれば改姓に憧れる女もいる。

 12/22の朝日新聞の世論調査では、反対が40%、賛成が49%で朝日らしいが、無作為抽出でなんでこんなにも偏向してしまうのだろうか。

 反対論は年長者、私を含めて旧世代に多いのだが、70年も戦後の個人尊重の価値観を共有してきた中で、人間は保守性からなかなか抜け出せないことを実感する。
 子は少なからず親の価値観を継承するし、世代を繰り返しても変わらないのはそうしたことに起因するのかもしれない。

 人間は保守的な価値観から抜け出せないし、教訓にも学べない──
 何十年も生きてきて世の中を見回すたびにその思いを深くするのだが、半世紀後にも日本人の価値観は変わっていないかもしれないし、あるいは戦前のような世の中になっていたとしても驚かない。


著書の紹介
▼本ブログ運営者の近著です。
リンク
▼運営者の関連サイトです。



▼オンライン辞書
goo辞書  YAHOO!辞書  infoseekマルチ辞書
weblio辞書  @nifty辞書  英辞郎on the WEB

▼参加しています。
ブログランキング・にほんブログ村へ

サイト案内
調べたい言葉を、下の窓に入れて検索ボタンを押してみてください。
もしかしたら、その言葉について書かれた記事が見つかるかも・・・

▼本ブログについての説明・・・
「言葉の重さと、我が存在の軽さについて」  (2007/2/3)
最新記事
最新コメント
カテゴリ
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
月別アーカイブ
運営者

七会 静 (ななえ・しずか)

▼著書
「ハリー・ポッター」のホントの魔法事典 (廣済堂PB)
よくわかる「世界の死神」事典 (廣済堂文庫)
ナルニアへの旅 (主婦と生活社)
幻の錬金術師列伝 (主婦と生活社)
ハリー・ポッターの魔法ガイドブック愛蔵版 (主婦と生活社)

(c)NANAE SHIZUKA

メールフォーム

▼運営者への連絡にお使いください。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
QRコード
QR
お知らせ
▼更新は、現在週1回程度を予定しています。
▼本ブログではFC2アクセス解析を行っています。
▼2006/6/30以前の記事は JUGEM ブログ、2011/9/30以前の記事は忍者ブログに掲載していたものです。2011/9/30以前のコメントには、移転時に一部欠落してしまったものがあります。またコメントに対しての運営者の返事はすべて欠落しています。コメントをいただいた方には、ご了承をお願いします。
▼上記移転時に、一部レイアウトの乱れているページがあります。またリンクが正しくないものがありますが、ご了承ください。
▼不適当と判断されるコメントは、断りなく削除することがあります。
▼トラックバックは受け付けていません。
▼本ブログでは著作権法の権利を保持しています。記事および写真の無断での複製・転載・送信・翻訳等はできません。
▼記事の一部を引用する場合は、本ブログからの引用であることを明記し、上の欄のメールフォームでご連絡ください。
▼リンクはフリーです。