映画の中の戦争(3)─戦争を始めるのは誰なのか


『ダンケルク』(2017)

 昨年、『ダンケルク』という映画が話題になった。イギリス出身のクリストファー・ノーラン監督で、1940年のダイナモ作戦を描いた作品だ。
 実を言えばダイナモ作戦を知ったのはこの映画がきっかけで、英仏軍が独軍に追い詰められ、まさに英仏海峡の瀬戸際に立たされていた時に、イギリスは民間の船舶を徴用して兵を救出した。

 映画ではイギリス兵の救出しか描かれていないが、実際にはフランス兵も救出されている。
 イギリスの一般国民の漁師たちが、イギリス兵を救うというところに愛国心を刺激するものがあって、漁船の愛国少年が死んで英雄となる感動話も盛り込まれている。

 『ダンケルク』は、イギリスがEUを離脱することになり、賛否を巡って国内が分裂する中で、大戦時の国家存亡の危機を思い起こし、国民の結束を図ろうとするナショナリズム映画だという指摘がある。
 制作者がイギリス国民の愛国心に訴えようとしたのか、はたまた国民が愛国心を求めているからこのような映画が生まれたのか。卵が先か鶏が先かの問いかけにも似ている。

『帰ってきたヒトラー』(2015)

 日本では昨年公開された2015年のドイツ映画に、『帰ってきたヒトラー』(デヴィッド・ヴェンド監督)というのがある。
 こちらは戦争映画ではなく、2014年のベルリンにヒトラーがタイムスリップして甦ったというコメディで、テレビ番組の企画で全国行脚するヒトラーを誰もがそっくりさんと思いながら、インタビューに答えるというセミ・ドキュメンタリーになっている。

 EUの移民問題に揺れるドイツで、市民たちがドイツ人種の選民意識、過去のユダヤ人排斥と似た移民排斥に共鳴する姿が映し出される。
 そして俳優との受け答えの中で、必ずしもヒトラーを全否定しているわけではなく、本音ではドイツ・ファーストの国家主義的ナショナリズムを唱導する強力な指導者を求めていることがわかる。

 映画の中で、ヒトラーはこう言う。
 ──ナチズムを作ったのは私ではなく、ドイツ国民がナチズムを作り私を指導者に迎えたのだ。

『ニュールンベルグ裁判』(1961)

 1961年のアメリカ映画『ニュールンベルグ裁判』(スタンリー・クレイマー監督)は、ドイツ降伏後にニュルンベルクで行われた国際軍事裁判に続く、アメリカによるニュルンベルク継続裁判をモデルにしたフィクションで、ドイツの司法関係者が被告となっている。

 被告の中心となるのがバート・ランカスター演じる法務大臣で、ナチスドイツによって立法された国内法に従って下した判決について、国際法から裁判官の責任を問えるのかという問題が提起される。
 いわば悪法も法なりで、悪法に従うのが正義なのかという、遵法についての難しい問題をテーマにしている。

 裁判は有罪となるが、次のような裁判長の考えが示される。
 ──虐殺に関与しなくてもそれを知り得る立場にいたのなら責任がある。つまり、ナチスの悪行を薄々感じていながら、それを許したドイツ国民全員に責任がある。

『ウィンストン・チャーチル』
(Darkest Hour、2017)
  
 辻一弘さんが、特殊メイクで今年のアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことで話題になった、今年3月公開のイギリス映画『ウィンストン・チャーチル』(2017、ジョー・ライト監督)は、ダイナモ作戦を政治の側から描いた、もう一つの『ダンケルク』となっている。
 原題は”Darkest Hour”で、闇黒の時間、転じて一番苦しい時という意味になるそうだ。
 ダイナモ作戦の直前にチャーチルが戦時内閣の首相に指名され、作戦を挟んだ数日間の物語となっていて、邦題は今一つピンとこない。

 ここに描かれるチャーチルは貴族を父に持つアッパークラスの元軍人で、功名心に駆られた頑固で冷酷な合理主義者。
 兵士をチェスの駒としか考えてなく、パン屋に並んだことも地下鉄に乗ったこともない。
 そのチャーチルが対独徹底抗戦を国民に呼びかけ、地下鉄で市民に対独講和についての意見を聞く場面がある。
 その答えが、”Never”。つまり、竹槍を持って鬼畜独逸と戦い抜くというもので、国民の愛国心を讃えて終わる精神は、軍国主義の時代の日本と変わらない。
 
 『帰ってきたヒトラー』の言葉を借りれば、戦争を始めるのは国家の指導者ではなく、国民が戦争を始めるよう国家の指導者を選ぶのだ。

映画の中の戦争(2)─描き切れない沖縄戦の重み


『ひめゆりの塔』(1953)

『ひめゆりの塔』(1982)

 6月23日は沖縄慰霊の日だった。
 今年は土曜日で、昼食時にテレビを点けたらたまたま摩文仁の丘の追悼式典をやっていた。
 そこはかとなく政治的で、慰霊と平和への思いが修辞に彩られ、沖縄戦のリアリティが薄れているように感じた。

 番組の中で、昨年、読谷の集団自決があったガマに沖縄の少年たちが肝試しに入り、千羽鶴や看板など内部を荒らした事件が紹介された。戦跡の歴史をよく知らなかったそうだ。

 こうした事件が起きると、無知な少年たちを嘆いたり歴史教育の必要性を説く話になりがちだ。
 しかし、終戦から70年以上も過ぎれば、沖縄の若者とはいえ戦跡や沖縄戦の歴史を知らないのも当然で、若者たちを責めるよりは、知っていて当たり前と考える年配者や大人たちが意識を変えるべきなのだろう。
 広報が足りなかったことを省みた方が良いのかもしれない。

 沖縄戦を描いた映画といえば、真っ先に『ひめゆりの塔』が思い浮かぶ。
 ひめゆり部隊の悲劇は都合6回映画化されているが、最初に映画化された1953年の今井正監督の『ひめゆりの塔』が最も有名だ。
 石野径一郎の小説が原作で、29年後の1982年に今井正監督自身によってセルフ・リメイクされている。

 物語は、1945年3月、米軍の沖縄本島上陸を前にして、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちが、南風原にある陸軍病院に看護要員として動員されるところから始まる。
 上陸した米軍が首里に迫り、沖縄守備軍は南部に後退。ひめゆり部隊も傷病兵とともに後退し、米軍の激しい砲撃や機銃掃射の中、伊原の壕で最期を遂げるまでが描かれる。

 『ひめゆりの塔』で一番印象的なのは、南風原から伊原へと向かう途中、糸洲の集落で束の間の休息をとるシーンで、傷病兵の看護に明け暮れていた彼女らが初めて、普通の女学生らしい表情を取り戻す。

 友達とはしゃぎながら料理をしたり水浴びをしたり沖縄舞踊を踊ったりするが、戦争という非日常下にも変らない少女たちの溢れる生気が眩しい。
 前後の悲惨なシーンと対照をなし、ごく普通の少女たちが戦争に巻き込まれて命を失っていく不条理を強く印象づけている。
 
 1982年のリメイク版は前作と同じ水木洋子の脚本で、ストーリーは変らない。
 モノクロがカラーになり、沖縄がアメリカ施政権下にあったために出来なかった沖縄ロケが行われたが、一番の違いはキャスティングだ。

 前回取り上げた『H Story』のテーマでもあったが、女学生の演技において、俳優が戦争を経験しているかどうかの違いは大きい。
 中心となる女学生を1953年版では香川京子、リメイク版では古手川祐子が演じているが、香川さんは1931年生まれ。終戦時、ひめゆり部隊の女学生たちと年齢的に変わらず、少女たちの悲劇が香川さんに重なって見える。
 一方、戦後生まれの女優たちが演じるリメイク版の女学生はどこかキャピキャピしていて、ひめゆり部隊の女学生の悲壮感に重ならない。 

 『ひめゆりの塔』両作に共通する不満は、戦闘場面がないために沖縄戦の状況がほとんど描かれないこと。
 そのため、ひめゆり部隊を始め、沖縄守備軍、沖縄県民が追い詰められていく客観的な状況や全体像がわからない。
 軍の横暴や戦争の悲惨を描くだけの反戦では、なぜ女学生たちが死なねばならなかったかという点は見えてこない。 

『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)
 
 「ひめゆり」以外に沖縄戦を描いた映画は少ない。
 その中で岡本喜八監督『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)はタイトルは仰々しいが、沖縄戦の経過を丁寧に描いたわかりやすい通史となっている。

 1942年8月の米軍のガダルカナル上陸から1944年7月のサイパン玉砕までを記録フィルムなどでダイジェストし、日本が沖縄決戦に追い込まれた状況を最初に説明する。
 本編のドラマは米軍上陸に備えた1944年3月の陸軍第32軍の沖縄配置から始まり、1945年6月23日の牛島中将自決で終わる。  
 
 新藤兼人脚本で、32軍内の意見の対立、状況を理解できず場当たり的な命令を繰り出す大本営の無能が描かれるが、沖縄戦のすべてを描くことには無理があり、ディティールが欠けている恨みは残る。
 同時に、岡本喜八と新藤兼人をもってしても、2時間半では描けない沖縄戦の重みを感じることになる。

映画の中の戦争(1)─戦争の体験と記憶は風化する


『H Story』(2001)

 今年も73年前の戦争を振り返る夏がやってきた。
 4/30「ゴールデンウィークも緑のカーテン作戦─2018年」で、平成も来年で終わり、昭和の戦争も歴史になったというようなことを書いた。
 それでもこの季節になると、テレビや新聞では終戦特集が組まれ、埋れた記録を掘り返し、あるいは戦争の記憶・記録を残そうという試みがなされる。

 先日、2001年に制作された『H Story』という諏訪敦彦監督の映画を見た。
 広島の原爆を題材にしたアラン・レネ監督の映画『ヒロシマ・モナムール』(1959)のリメイク作品をつくる過程を追うメイキングで、途中、主演のフランス人女優が演技に行き詰って撮影が頓挫してしまう。

 演技が行き詰まる理由は、42年前のシナリオの台詞が理解できないというもので、つまり42年前に同じ役を演じた女優は戦争を経験していたから台詞を理解できたが、戦争を経験していないリメイクの女優にはそれが理解できない。
 女優はヒロシマを理解するために街に出るが、街そのものが変貌していて良くも悪くもヒロシマは過去のものとなっている。
 実は、このメイキングというのはドキュメンタリーに見せかけたフィクションで、戦争の体験と記憶は否応なく風化してしまうというのがテーマになっている。

『ヒロシマ・モナムール』(1959)
(二十四時間の情事)

 この戦争の体験と記憶の風化というのが、彼らがリメイクしようとしている『ヒロシマ・モナムール』のテーマでもあって、被曝から14年後に広島を訪れたフランス人女優が、ヒロシマについて理解しようと努めてもいずれは記憶が薄れて、忘れてしまうことを予感する。
 彼女自身はフランスの故郷ヌヴェールでドイツ軍将校と恋をし、対独軍協力者として迫害を受けた過去を持つ。その彼女がヒロシマで日本人男性と恋をし、帰国する段になってドイツ軍将校同様、日本人男性との過去も忘却すると言う。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる──アラン・レネ監督は、戦争の悲惨な記憶はやがて忘れられてしまうという諦観とともに、そうした人間の危うさに警鐘を鳴らした。

 ちなみに『ヒロシマ・モナムール』(Hiroshima mon amour)は原題で、「ヒロシマ、わが愛」と訳されている。
 日本公開時の邦題は『二十四時間の情事』。確かにフランス人女優と日本人男性の恋愛を描いていたが、男女の恋愛の永続性を戦争の記憶の永続性になぞられたもので、いくら興行のためとはいえ、配給会社のセンスがひどい。
  もう一つ余談だが、エマニュエル・リヴァの相手役を演じた岡田英次は劇中で流暢なフランス語を話しているが、実は台詞丸覚えで、フランス語は全く話せなかったそうだ。

 私は実際の戦争を経験していないが、戦争の余波、影響が残る時代に生れた。
 戦争の経験を父と母から聞かされ、あるいは戦争を経験した教師や大人たちからも話を聞かされた。
 私が生きた時代は、第二次世界大戦が引き起こした植民地独立と東西冷戦で、インドシナや南米など世界で絶え間なく戦争が続いた。それに続く民族紛争・・・

 アラン・レネ監督の警鐘に応えるならば、前の世代から受け継いだ戦争の記憶を風化させてはならない。
 それで、戦争を描いた映画を紹介しながら、戦争について考えてみることにする。

 6月23日は沖縄慰霊の日だ。沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされるが、日本軍の沖縄守備隊の牛島中将以下が自決して司令部が消滅した日で、その後も戦闘は続いた。
 
 まず、沖縄戦を描いた映画を次回、取り上げる。



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